思い出の一杯。

あれは私が19の頃だったか…。
特に勉強もしなかった
浪人生活の果てに何故か体を壊し、
数年ぶりにぜんそくを発症した。

数日間は体が動かず、ようやく
治りかけた私を友人がドライブに
連れて行ってくれた。
行き先は付知町
兼ねてから彼と約束していた
『満珍軒』というラーメン屋である。

治りかけとはいえ虫の息で車を降り、
引きずるような歩み。
まるで今生の別れに最後の晩餐的な画であった。

到達した『満珍軒』の煤けた看板には
ラーメン 焼肉
と書かれている。
どっちがメインだかわからないが
我々は約束の一杯を食べにやって来た。
味噌ラーメン。
美味いでも普通でも無い、
病み上がりの一杯。
心に染みた一杯だった。

さて、時は流れ、ニ児の父となった私。

先日、娘と息子と三人で付知方面に向い、有名ビストロ『芝ヵ瀬食堂』で
軽く食事を取る事にしたのだが、
やはり超人気店、昼の1時半には
看板が『準備中』に変わっていた。

仕方なく更に車を走らせ、お蕎麦でも
と思っていた矢先、あのラーメン 焼肉の看板が目に止まった。
相変わらず煤けた看板。

入り口の横に犬小屋。
寝転んだまま返事が無いただの屍のような犬。

中に入ると何とも変わった店だった事に
改めて気づいた。
真ん中に仕切り、右側にラーメン屋のカウンター。
左側に焼肉屋の座敷と何故かカウンター。
パンチパーマの伸びきったマスターが
ラーメンブースで声高々にお客と話ている。

座敷で家族が焼肉をつついている。

バイトの女の子は椅子に座って携帯をかまっている。

伊丹十三の映画に出てきそうな、
ある意味日本が忘れてしまった
お店の風景である。

我々は昔座った席に座り、親子三人
味噌ラーメンを食べてみた。

普通でもない、不味くもない、
昔の味は思い出せなかったが、
私にとって思い出の一杯との再会であった。

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