山に取り憑かれた親父が見てきたもの、美しい自然と極限の世界とは…。
少しでも知りたい、知っておかねばと思ったきっかけは
3年ほど前、友人から借りた山岳小説
「孤高の人」
「氷壁」
であった。
70歳間近、一緒に行けるのも残りわずか。
12年ぶりに舞い込んだ夏の5連休、第一希望は北鎌尾根を超えての槍ヶ岳
しかし今回日程が合わず、親父より送られて来た入山届けは一泊二日の前穂高。
当日は晴天、風も涼しく秋のトンボも飛び始めていた。
上高地~徳沢と平坦な道を行き、いよいよ上り道になり、
岩場になり、黙々と登る。浮き石を掴んで滑落すれば命は無いだろう。
幼少期からスパルタで仕込まれた岩登りは生きていた。
体力に問題も無く、6時間に及ぶ登坂最後のピークを超えた時に
現れたのは奥又白池という小さな池
目の前に鎮座する穂高は圧巻。
素晴らしい景色だった。
しかし親父の口から出た言葉に愕然とした。
例年に比べ雪が多過ぎる、去年の大雪の影響だろう。
持って来た4本アイゼンだけでは危険過ぎ、12本のアイゼンとピッケルが無ければ
到底無理であるとの事であった。
先に到着していた登山者の方が2人と単独の方が一人。
いずれもまさかの残雪に装備不足を悔やんでいた。
一缶のビールを二人で飲みその後小瓶のウイスキーを飲みながら
ただ眺める景色。
悔しさは無く、念願叶った二人の山行に涙が出てきたのである。
今までの夏は仕事に明け暮れていた。
苦悶の日々と今回経験した危険、体力のとの勝負の果てに見えた景色に今は満足。
食べれるものを食べて眠った。
翌朝天候は崩れ、下山から雨。
登り以上の危険を何とか終え、無事上高地へ到着。
今回一番印象に残った言葉と致しまして。
行きのタクシーでドライバーと親父との会話より
「山ってやはり命がけで登るんですか」
「命を掛けてはいけません、掛けるものではありません」
でした。