たった一杯のお茶に寄せた思い。

北アルプス奥穂高岳3190m

上高地から明神、徳沢、横尾と3時間平坦な道を行き、そこから3時間、険しい登山道を行くと涸沢の絶景。

ただ紅葉が始まっておらず非常に残念。

第一の目的はそれだった。

この夜のご飯は自慢の味噌スープに豚肉、タラ、しめじ、ネギ、もやし、油揚げを入れた鍋。

疲れた身体にニンニクの風味と味噌スープが染み込んだ豚肉の甘味。

最高の味わいだった。

 

2日目朝5時起床。

朝ごはんを食べ出発。

持ち物は雨具、ダウン、コンロ、食料、水、ヘッドランプ。

先行している登山者達が小さく、うねるように登って行く姿が見える。

遠い。

ほぼガレ場の登山道、途中現れる石畳がありがたい、歩く事約1時間半、後半の難所ザイテングラード取付点に到着。

そこからはさらに険しい岩場を登って行く、手で岩を触り、浮いていないかを確認、体重を掛けやすい場所をしっかり掴む。

子供の頃叩き込まれた岩登りだ、足場も多く、

大きく、何ら問題なし、興奮も感じながらの岩場を行き、ようやく奥穂高山荘に到着。

ここで一休みし、頂上へ行く。

しかし腰を下ろしてあっと言う間に身体が冷えてきた。

ここは標高3000mの稜線に建つ山小屋、寒いわけだ、山荘の中に入ると売店と小さな食堂。

山小屋の食事と飲み物は高いのが当たり前、

ただ寒さ凌ぎに突っ立ているのもあれだからと、温かいものでも飲もうとメニューの看板に目をやった。

コーヒー、ミルク、紅茶、ホットカルピス、

お茶。

お茶200円。

これにしよう。

学校で使っていたような懐かしいアルミの急須と湯呑みで出てきたのには驚き、ありがたかった。

想像していたのは湯呑み一杯200円の温かいお茶だった。

口に入れた瞬間に玄米茶の味とわかった、美味い。

想像していたのは薄い緑茶だった。

濃く、甘く、身体に染み渡る温かさ。

2杯、3杯と飲める喜びと温まる感覚に感激。

予期せぬ寒さと思わぬ出会い。

心と身体を満たされた。

暑い登山道を汗いっぱいにかいて、沢の冷たい水で顔を洗った時のような気持ち良さにも似て、対比するような、そんな温もりだった。

 

外に出てダウンを着込み山頂へ。

今までとは違う急峻な岩場。

強い風と寒さに顔がかじかむ。この感覚、岩登りの興奮とこの寒さ。

幼い記憶と興奮だった。

視界も開けて絶景にまた絶景。

山頂に据えられた方位板に書かれた山の名前。恵那山がある、その方向に馴染みのある形。

恵那山がしっかりと見えた。

 

充分に足元、手元、登山者との間隔に注意を払い下山。

下から上がってくる登山者を見るに、半分は素人のように見えた。

登山ブームか。

中にはジーンズ、ローカットの靴で登って来ているヤツもいる。

一緒に登ってる女性がまた綺麗。

どちらにせよこの不公平さに悔しさを噛み締めた。

自然の美しさ、こうして来れた事、休みが取れた事、もの思いにふける喜びを感じて一歩一歩帰ろうと思い直し、ゆっくりの足取りで涸沢到着。

 

何とか今回の大きな難所を終え、涸沢ヒュッテの自動販売機でアサヒスーパードライ500ml缶800円を購入、チーズ、サラミ、柿の種と一緒に流し込む。

キンキンに冷えてやがるとカイジの台詞が頭の中をよぎる。

全くだ。

 

日光の熱をいっぱい含んだ温かいテントの中昼寝をし、外に出てまたもの思いにふける。

山の写真を撮る。

向かいの岩に浮き輪に乗るような感じで腰をかけ、遠くを眺めてコーヒーを飲む女性。

もしこれが映画なら彼女は俺に話しかけてくる。

でも映画ではないから、逆に話しかける勇気も俺にはない。

 

食べて寝ようと気持ちを切り替え、2日目の夕食は尾西の白米とレトルト牛丼、フリーズドライ味噌汁。

まずまずだが、食堂から漂っていたカレーの香りを嗅いでしまった為、カレーしか頭になく、牛丼を選択した自分を悔やんだが、前回恵那山登山でそれをやり、またカレーよりも牛丼は40g軽かったので仕方無しとした。

 

翌朝4時半に起床、身支度、テントを畳み、いよいよ下山開始。
大きなトラブル無く終わるかと思った涸沢から横尾までの樹林帯、何か聞こえる。
猿か、猿だ。
1匹、2匹、目を合わさずさっさと歩いていたが次々にヤツ等の姿を捉える。
遂にはデカいヤツが前方の登山道に座り込み遠くを見ながらムシャムシャやっている。
登山者は俺1人。
右にも左にもいやがる。
数えきれない。
とりあえず引き返して立ち去るのを待つしか無いと振り向いたとき、でかいの小さいのがこちらに向かって来るではないか。
立ち止まり目を合わさず、山側の斜面を見、息を殺していたが、やはり山側にも猿。
子猿は木の枝に掴まりブラ〜ンってやっている。
チラッと前を見ると行先を塞いでた猿がこちらを見ている。
このままでは連れ去られて実験にされちまう。
膝が震えている。
とにかく目を合わさない事と、子猿を刺激しない事、なんて思ってると子猿が横を通過して行く、ご両親、
俺は何もしていない、そうだろ。
後を見てもさらにデカいヤツがこっちを見てる。
やられるかやられるか、やるは皆無。
遠くを見ながら待つ事どれくらいか、3人の登山者が下って来た。
その人達は特にビビる様子も無く、俺の横を通過、俺は俺で何くわぬ顔で彼等の後ろをついて行く。 

猿達も横を歩いたり、沢に下ったり、やがて見えなくなった。
ようやく地球にたどり着いた心地だった。
全く大自然に対して無力な俺。

残りの道も足の疲れに任せてゆっくりと歩き、

無事バスターミナルに到着。

バスに揺られながらこの三日間を振り返ると、

やはり一番の感激はあの玄米茶だった。

もう二度と来ないかもしれない、でもまた違う場所で違った感激を味わって、そんな思い出をたくさん作れたら人生最高だろうなと。

またこの感激は仲間と共有できたら、それはもっと素晴らしい事と、これを書きながら思えてきた。

 

2020年9月22日

 

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スピッツのリサイクル

クローバーの花はシロツメクサ

むしりながら頭の中に流れるのはスピッツの冷たい頬。

 

アルバム、リサイクルの12曲目。

その次は楓でこのアルバムは終了となる。

クライマックスの2曲。

 

胸が締め付けられるのはこの季節に聴き、恋い焦がれ、楽しい日々を過ごした街、吉祥寺とその風景、匂いや風の温もり。

もう20年も前の話。

 

歳を重ねても傷つけた人に胸が痛み、後悔ばかりの日々である。

たいして大人になってもいない。

男二代約束の山

私は四人兄弟で、四人とも山に因んだ名前が付けられております。
山に取り憑かれた親父が見てきたもの、美しい自然と極限の世界とは…。

少しでも知りたい、知っておかねばと思ったきっかけは
3年ほど前、友人から借りた山岳小説
氷壁
であった。

70歳間近、一緒に行けるのも残りわずか。

12年ぶりに舞い込んだ夏の5連休、第一希望は北鎌尾根を超えての槍ヶ岳
しかし今回日程が合わず、親父より送られて来た入山届けは一泊二日の前穂高
井上靖氷壁」の舞台でる。

当日は晴天、風も涼しく秋のトンボも飛び始めていた。
上高地~徳沢と平坦な道を行き、いよいよ上り道になり、
岩場になり、黙々と登る。浮き石を掴んで滑落すれば命は無いだろう。
幼少期からスパルタで仕込まれた岩登りは生きていた。

体力に問題も無く、6時間に及ぶ登坂最後のピークを超えた時に
現れたのは奥又白池という小さな池
目の前に鎮座する穂高は圧巻。
素晴らしい景色だった。

しかし親父の口から出た言葉に愕然とした。
例年に比べ雪が多過ぎる、去年の大雪の影響だろう。
持って来た4本アイゼンだけでは危険過ぎ、12本のアイゼンとピッケルが無ければ
到底無理であるとの事であった。

先に到着していた登山者の方が2人と単独の方が一人。
いずれもまさかの残雪に装備不足を悔やんでいた。

一缶のビールを二人で飲みその後小瓶のウイスキーを飲みながら
ただ眺める景色。
悔しさは無く、念願叶った二人の山行に涙が出てきたのである。
今までの夏は仕事に明け暮れていた。
苦悶の日々と今回経験した危険、体力のとの勝負の果てに見えた景色に今は満足。
食べれるものを食べて眠った。

翌朝天候は崩れ、下山から雨。
登り以上の危険を何とか終え、無事上高地へ到着。

今回一番印象に残った言葉と致しまして。

行きのタクシーでドライバーと親父との会話より
「山ってやはり命がけで登るんですか」

「命を掛けてはいけません、掛けるものではありません」

でした。

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思い出の一杯。

あれは私が19の頃だったか…。
特に勉強もしなかった
浪人生活の果てに何故か体を壊し、
数年ぶりにぜんそくを発症した。

数日間は体が動かず、ようやく
治りかけた私を友人がドライブに
連れて行ってくれた。
行き先は付知町
兼ねてから彼と約束していた
『満珍軒』というラーメン屋である。

治りかけとはいえ虫の息で車を降り、
引きずるような歩み。
まるで今生の別れに最後の晩餐的な画であった。

到達した『満珍軒』の煤けた看板には
ラーメン 焼肉
と書かれている。
どっちがメインだかわからないが
我々は約束の一杯を食べにやって来た。
味噌ラーメン。
美味いでも普通でも無い、
病み上がりの一杯。
心に染みた一杯だった。

さて、時は流れ、ニ児の父となった私。

先日、娘と息子と三人で付知方面に向い、有名ビストロ『芝ヵ瀬食堂』で
軽く食事を取る事にしたのだが、
やはり超人気店、昼の1時半には
看板が『準備中』に変わっていた。

仕方なく更に車を走らせ、お蕎麦でも
と思っていた矢先、あのラーメン 焼肉の看板が目に止まった。
相変わらず煤けた看板。

入り口の横に犬小屋。
寝転んだまま返事が無いただの屍のような犬。

中に入ると何とも変わった店だった事に
改めて気づいた。
真ん中に仕切り、右側にラーメン屋のカウンター。
左側に焼肉屋の座敷と何故かカウンター。
パンチパーマの伸びきったマスターが
ラーメンブースで声高々にお客と話ている。

座敷で家族が焼肉をつついている。

バイトの女の子は椅子に座って携帯をかまっている。

伊丹十三の映画に出てきそうな、
ある意味日本が忘れてしまった
お店の風景である。

我々は昔座った席に座り、親子三人
味噌ラーメンを食べてみた。

普通でもない、不味くもない、
昔の味は思い出せなかったが、
私にとって思い出の一杯との再会であった。

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小さな幸せ

昨日掛け布団のシーツがふと
破れた。
妻にシーツが破れてしまったよと
独り言のようにつぶやくと、
翌日掛け布団のシーツは
暖かい素材の物に付け替えられていた。
嬉しい瞬間だった。

普段私をバカにしては喜び、
あんたは嫌いだと言っている妻だが
優しい女性である。