山なめてました八ヶ岳連峰赤岳山行記

山なめてました山行記

20210919息子との八ケ岳連峰赤岳2899m登山。

きっかけはインスタグラムで見た「山なめんなよ」と吹出し看板を掲げて撮られた写真だった。

行者小屋

なんだこのユーモアのある山小屋は。

行者小屋

この建物名も気になった。
検索した結果そこは「八ケ岳」だった。
早速地図を購入し、コースタイムを確認。
厳しい山々と思い込んでいたが行けると思えた。
事前に電話をし、テント泊は予約が必要であるかを確認。
テント泊は予約の必要なしの回答であった。

今季息子との恵那山登山が天候悪化で中止となり、どうにかならないものかと思っていた頃だった。

登山は9月の18日土曜日19日日曜日としたが、一週間前より台風が発生。
チャンス―という名前の台風だ。
コイツがとにかく遅く、方向の定まらない台風だった。
いつまでたっても日本列島を抜けていかない。
速度は15㎞だの25㎞だの。
ブタと名付けてやった。
何度天気アプリを確認した事か。
時間をずらし、色々と何とか行けるだろうかと考えてみた。

金曜日に登山届を作成し、念のため親父にLINEで送った。
どうしても行くなら一日ずらせと、また計画も危なすぎると。
計画では台風の経過を見つつ一日目、朝10時より行者小屋に向け約3時間を歩き、一泊。
翌日赤岳、中岳、阿弥陀岳にて下山の工程だった。
しかしアプリが示す天候は土曜日雨一色、この日の夜には雲がなくなる予報。
仕方なく断念。
一日ずらし、行程を改めた。

初日4時から登山口を出発8時に行者小屋赤岳を登り13時には行者小屋着。
阿弥陀岳に登り下山の内容だった。
再度親父にLINEで送った所、子供のコースタイムは表記の数字より休憩時間を引き、さらに×1.2を想定せよと。
苦しい登山よりも楽しい登山をと書かれていた。

コースタイムには十分余分をとり計画していた。
問題ないはずだ。

さて、土曜日の雨天を陰鬱な気持ちで過し、ようやく陽が暮れ、19時に家を出た。
出発した矢先に息子が言った。
「父さん、もし父さんが滑落したらオレはどうしたらいい?」
「父さんが滑落したら絶対に助けに来るな、来た道を戻り、人がいたら助けを求めよ」と伝えた。
しばらくして息子は眠った。

諏訪インターで高速を降り、下道を行き、登山口である美濃戸口に向かう
林道に入った。
これがとんでもない悪路だった。
このメジャーな山々にあってもこのパリ・ダカールラリーもしくはWRCで見るような悪路は何だ、本当に合っているのか、しかし悪路は興奮する達で一向にかまわない。
デカい鹿もいた、ぐいぐいと進むうち関東の連中が運転する新型VOLVOに追い付いた。
分かれ道で車体をゆがめるように段差を乗り越え低速で登ってゆく関東の連中。
そっちではないだろうと、もう一本の道へ我々はハンドルを切った。

22時無事山荘の駐車場に到着、20分ほどして関東の連中到着。
山荘の営業開始は5時から、それから駐車場の料金を払い、登山開始となる。
予定より1時間遅れのスタートとなるわけだ。
3時半まで眠り、外に出た瞬間冷気に襲われた。
息子は後部座席で布団に包まり寝ている。
雲は無くなっており満点の星だった。
4時に息子を起こし準備に取り掛かった。
やはり寒いらしい。
駐車場は満車、エンジンは誰一人掛けていない、膝に息子をのせて布団をかぶりしばらく寒さを凌いだ。

5時を前に山小屋のおばちゃんを見つけ話してみると駐車の料金を納めてくれるという。
2千円を支払い、準備運動を行い、いよいよ登山開始。

車道は200m程、息子を先頭に、そのペースでそこから樹林帯へ。
川沿いの登山道を行く。
川が消え、樹林帯が白みかけてきた。
生した苔が一面に、倒木さえも覆っている。
まるでもののけ姫の世界のようだった。
頭の中にあのテーマ曲が流れる。

ヘッドランプは必要ないほど明るくなり、休憩をしていた時、息子が言った「父さん、生き物がいる」この言葉は二度目だ、一度目は親父、私、娘、息子の四人で根の上高原に麓から古道を登った時だった。
その時は立派な鹿がいた。
「生き物がいる」
鹿は初めてでとにかく息子にとっては生き物だったんだろう。
またしてもこの言葉がツボにハマる。

指さす方向を見ると灰色の獣だった、鹿にしては首が無く、猪にしては細く、熊にしては色が黒くない。
それは生き物だった。
目を離した隙にそいつは居なくなっていた。

何度も休み、焦らずゆっくり歩けばいいと息子に言い、もうすぐ着くかと、ここは以前爺と登った宝剣岳より高いのかと、
聞かれるも、この樹林帯はほんの序章とは言えず、だましだまし答えておいた。
また山小屋が初めてで、山小屋とはどんな所かとも聞いてきた。
楽しみとの事だった。
コースタイムを1時間半オーバーで、9時半にようやく行者小屋に到着。
眼前にそびえる八ケ岳連峰、屏風のような岩の壁だ。
あそこが赤岳と指をさし、息子を見ると顔が引きつっていた。

テント場の料金を支払い、テントを張り、休憩。
ザックに必要な防寒具、衣類、行動食、バーナー、ガスを入れ、ヘルメットを装着し赤岳を目指して出発。

稜線までのコースタイムは地図でも1時間半。
ここも息子のペースで進み、いよいよ岩場の登りとなってきた。
梯子、鎖場、岩場、子供にとっては中々危険な思いの連続であり、一番怖かったと言っていたのが、足場の悪い、横渡りに行かなければいかない岩場だった。
息子にとっての「神々のトラバース」とでも言おうか。
常に息子の下側で足元を確保し、受け止めれる態勢を作りながら、手元と足元の場所を教えつつ、必死な顔つきでついにお地蔵様の座る稜線にでた。

晴れ渡っていた。
お地蔵さんの横に座る息子、この瞬間はとカメラを構えたが、待てオレと。
かつて東寺の住職に叱られた事を思い出した。
「仏さまにはまず手を合わせよと。」
手を合わせ、さてと撮るぞとこの瞬間息子もお地蔵様に手を合わせていた。
この瞬間こそとファインダーを覗いた時には息子は空を仰いでいた。
これもまた良しとシャッターを切る。

晴れ渡る青空、薄く伸びる雲。

岩の壁を乗り越え、見えたのはどこまでも広がる緑と青い空でした。
「きれいやなー」と息子が言う
「すごーい」と私の後ろから声が聞こえ、振り返ると若く綺麗な山ガール。
私と目を合わせ笑顔をくれた。
微笑みを返し、ぐっと次の言葉はこらえて美しい景色と山ガールの笑顔を胸に刻んだ。

休憩後歩き始めてすぐに富士山が見えた。
中腹にスジのように伸びた雲が印象的で、一層美しく見えた。

赤岳頂上は見えているもののまだ遠い。
稜線沿いの山小屋で昼食を取り、いよいよ頂上に向けて最後の登り。
ここも岩場である。
向こうから同じ歳くらいの子供もいる、お父さんと話してみると、子供は同じ歳で、泣きながら登ったという。
息子は泣いてはいないが必死に怖さをこらえていた。
その頃から視界はどんどんガスに包まれ美しい景色は消えてしまった。

休業中の山頂小屋を過ぎ、遂に赤岳2899mの三角点に一緒にタッチ。
岩場の陰で風を凌ぎ、持ってきた瓶コーラを出し二人で飲んだ。
昨年奥穂高登山の時、頂上下の山荘で若者たちが「やっぱ瓶うめ―!キンキンに冷えてやがる!」と歓喜を上げて飲んでいたのがおいしそうで、今回重いのは承知で担いできた。
しかしながらこの瓶コーラはその時の温度と大きく異なり、若干ぬるく微妙ではあったが疲れた体に沁み込んできた。

すると二人組の今度はスタイルの良い美人山ガールがやって来た。
カメムシがいる―」と私を見てにこやかにはしゃいでいる。
違うでしょうと思いつつ微笑みを返し、その後の言葉はぐっとこらえて、笑顔とコーラを脳裏と胃に沁み込ませた。

すると息子が「父さん頭が痛い」と言う、高山病だろうか。
待てよと、ヘルメットを少し緩めてやると痛いのは収まったらしい。

頂上付近は上着を着ていても肌寒く早々に下山を開始。
来た道は怖くて戻りたくないと言う息子。
急ではあるが来た道とは別の道に変えた。
計画では来た道を下山としていたが、岩の大きさからも足場は大きく降りやすいと見て、私が先に下り足場を確保しながら息子にまた、教えながらゆっくり一歩一歩の下山。
途中涙目の息子に「怖いか」と聞いたところ、遂に気持ちが折れたのか、おっぷ、おっぷぷといった感じで涙を流し始めた。
来た道よりはずっと足元が安定しているから心配するなと声をかけ、岩場を過ぎた頃、15時を回っており、計画より2時間オーバー。
息子の疲労も大きく、明日に計画していた阿弥陀岳は止めようと思い、その事を息子に伝えた所、みるみる内に元気を取り戻してきやがった。

岩場を過ぎての階段、下り坂もなかなか長かったが息子は元気に歩いていた。
16時を過ぎた頃ようやくテント場のテントが木々の隙間から見えた時息子と一緒に歓声を上げた。
ロッキーが勝った瞬間に流れる曲が頭に流れる。
今回はこの曲が流れたかと思い、行者小屋へ。

「山なめんなよ」「山なめてました」「赤岳はどこですか」「大好きです」
吹き出し看板で記念撮影をすべく、息子は「山なめんなよ」私は「山なめてました」を選択。

まあ、無理をせずようやく小屋まで来れたなと。
あとはご飯を食べて朝まで眠ることとし、
夕飯も半分で息子は眠いと言いだし、トイレと寒くなったら必ず言うようにと伝え息子は眠った。

片づけをしながら急激に冷えてきた。
私も寝袋に入り18時くらいだったか眠った。
すると一時間も寝た頃か、息子が「父さん、トイレ」という
よしよしと山小屋のトイレに行き、また眠り始めた途端「父さん寒い」といった。
よしよしと持ってきたヒートテックと私のダウンを着せ、靴下を変え寝させた。
私も着替えを終え再度寝ようと思った時には鼻水がダーダーに出てきた。
ティッシュを両鼻に詰め、寝返りを打った息子と目が合い、この顔に引いたような表情を見せ言った。
「父さん、明日父さんが風邪ひいたらオレどうしたらいいの」
「死んでも歩くから心配するな」
「ヘリ呼ばんの」
「へリはタクシーじゃないぞ、毎回の鼻水だから心配するな」と言い朝まで眠った。
体調は二人とも崩れることなく、疲れも引き元気だった。

尾西の白米にレトルトカレートマトスープ、コーヒーとゆっくり朝ごはんを食べ、テントを仕舞い、赤岳を何度も二人で見て、行者小屋を後にした。


下山中の樹林帯に朝日が差込み、行きとも違う幻想的な景色を見ながら、
息子は自分が先に歩くと言いい、帰れる喜びで上機嫌に昆虫の話をいっぱいしてくれた。
アブラゼミの鳴き声は油を揚げている音に似ているからその名前が付いたとか、
ツクツクボウシはその様に聞こえるからだとか、虻の羽ばたき回数は世界一だとか、蟻は体の七倍の物を運べて、これは人間に例えると太い木を一本運ぶことと同じであるとか。
実に楽しい下山であった。

約3時間をかけ、登山口を出た時、向かいの山荘の水槽に入れられた飲み物、ビール、サイダー、コーラ。水に手を入れてみると見事な冷たさだった。
飲まずにはいられない、サイダーとコーラを買いベンチに腰を下ろす。
煉瓦で作られた大きな焚火台にこれも大きく割られた薪が燃えていた。
キンキンに冷えたコーラと暖かい焚火。
汗ばんで冷えつつある体と日焼けした肌に沁み込む焚火の熱、例えようの無いほど気持ちが良かった。
こんな形で今回の登山を締めくくれるとは思っていなかった。

無事に下山。

今回の登山を振り返り、自身としてはやはり「山なめてました」
この一言に尽きるなと。
息子の体力、気力、体調までをも計算できず、行程は半分で終了であった。
半分で良かったのである。
欲を出し過ぎ、後から思えば一人でもようやくの計画をしてしまっていた。
息子にまた行きたいかとは聞けず、もし行けるのであれば、無理をせず、
楽しめる登山を計画しよう。
そんな想いはあるものの、危険な山ではあったが一生の記憶に残るであろう今回の山行となりました。

 

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