記しておこう

明け方眠りが覚めたのか、ぼやけた頭で思った。

生まれた日だ、今日は誕生日だなと。

生んでくれてありがとう。

そう思ったのは生まれて初めて。

親孝行はしてきたつもりでも、二度と伝えられない事が悲しく、息を引き取った瞬間もありがとうとも言わなかった事とか、灰になってしまった後ではもう二度と戻らない日々と後悔とが交錯した朝。

歩き続けよう。

 

山なめてました八ヶ岳連峰赤岳山行記

山なめてました山行記

20210919息子との八ケ岳連峰赤岳2899m登山。

きっかけはインスタグラムで見た「山なめんなよ」と吹出し看板を掲げて撮られた写真だった。

行者小屋

なんだこのユーモアのある山小屋は。

行者小屋

この建物名も気になった。
検索した結果そこは「八ケ岳」だった。
早速地図を購入し、コースタイムを確認。
厳しい山々と思い込んでいたが行けると思えた。
事前に電話をし、テント泊は予約が必要であるかを確認。
テント泊は予約の必要なしの回答であった。

今季息子との恵那山登山が天候悪化で中止となり、どうにかならないものかと思っていた頃だった。

登山は9月の18日土曜日19日日曜日としたが、一週間前より台風が発生。
チャンス―という名前の台風だ。
コイツがとにかく遅く、方向の定まらない台風だった。
いつまでたっても日本列島を抜けていかない。
速度は15㎞だの25㎞だの。
ブタと名付けてやった。
何度天気アプリを確認した事か。
時間をずらし、色々と何とか行けるだろうかと考えてみた。

金曜日に登山届を作成し、念のため親父にLINEで送った。
どうしても行くなら一日ずらせと、また計画も危なすぎると。
計画では台風の経過を見つつ一日目、朝10時より行者小屋に向け約3時間を歩き、一泊。
翌日赤岳、中岳、阿弥陀岳にて下山の工程だった。
しかしアプリが示す天候は土曜日雨一色、この日の夜には雲がなくなる予報。
仕方なく断念。
一日ずらし、行程を改めた。

初日4時から登山口を出発8時に行者小屋赤岳を登り13時には行者小屋着。
阿弥陀岳に登り下山の内容だった。
再度親父にLINEで送った所、子供のコースタイムは表記の数字より休憩時間を引き、さらに×1.2を想定せよと。
苦しい登山よりも楽しい登山をと書かれていた。

コースタイムには十分余分をとり計画していた。
問題ないはずだ。

さて、土曜日の雨天を陰鬱な気持ちで過し、ようやく陽が暮れ、19時に家を出た。
出発した矢先に息子が言った。
「父さん、もし父さんが滑落したらオレはどうしたらいい?」
「父さんが滑落したら絶対に助けに来るな、来た道を戻り、人がいたら助けを求めよ」と伝えた。
しばらくして息子は眠った。

諏訪インターで高速を降り、下道を行き、登山口である美濃戸口に向かう
林道に入った。
これがとんでもない悪路だった。
このメジャーな山々にあってもこのパリ・ダカールラリーもしくはWRCで見るような悪路は何だ、本当に合っているのか、しかし悪路は興奮する達で一向にかまわない。
デカい鹿もいた、ぐいぐいと進むうち関東の連中が運転する新型VOLVOに追い付いた。
分かれ道で車体をゆがめるように段差を乗り越え低速で登ってゆく関東の連中。
そっちではないだろうと、もう一本の道へ我々はハンドルを切った。

22時無事山荘の駐車場に到着、20分ほどして関東の連中到着。
山荘の営業開始は5時から、それから駐車場の料金を払い、登山開始となる。
予定より1時間遅れのスタートとなるわけだ。
3時半まで眠り、外に出た瞬間冷気に襲われた。
息子は後部座席で布団に包まり寝ている。
雲は無くなっており満点の星だった。
4時に息子を起こし準備に取り掛かった。
やはり寒いらしい。
駐車場は満車、エンジンは誰一人掛けていない、膝に息子をのせて布団をかぶりしばらく寒さを凌いだ。

5時を前に山小屋のおばちゃんを見つけ話してみると駐車の料金を納めてくれるという。
2千円を支払い、準備運動を行い、いよいよ登山開始。

車道は200m程、息子を先頭に、そのペースでそこから樹林帯へ。
川沿いの登山道を行く。
川が消え、樹林帯が白みかけてきた。
生した苔が一面に、倒木さえも覆っている。
まるでもののけ姫の世界のようだった。
頭の中にあのテーマ曲が流れる。

ヘッドランプは必要ないほど明るくなり、休憩をしていた時、息子が言った「父さん、生き物がいる」この言葉は二度目だ、一度目は親父、私、娘、息子の四人で根の上高原に麓から古道を登った時だった。
その時は立派な鹿がいた。
「生き物がいる」
鹿は初めてでとにかく息子にとっては生き物だったんだろう。
またしてもこの言葉がツボにハマる。

指さす方向を見ると灰色の獣だった、鹿にしては首が無く、猪にしては細く、熊にしては色が黒くない。
それは生き物だった。
目を離した隙にそいつは居なくなっていた。

何度も休み、焦らずゆっくり歩けばいいと息子に言い、もうすぐ着くかと、ここは以前爺と登った宝剣岳より高いのかと、
聞かれるも、この樹林帯はほんの序章とは言えず、だましだまし答えておいた。
また山小屋が初めてで、山小屋とはどんな所かとも聞いてきた。
楽しみとの事だった。
コースタイムを1時間半オーバーで、9時半にようやく行者小屋に到着。
眼前にそびえる八ケ岳連峰、屏風のような岩の壁だ。
あそこが赤岳と指をさし、息子を見ると顔が引きつっていた。

テント場の料金を支払い、テントを張り、休憩。
ザックに必要な防寒具、衣類、行動食、バーナー、ガスを入れ、ヘルメットを装着し赤岳を目指して出発。

稜線までのコースタイムは地図でも1時間半。
ここも息子のペースで進み、いよいよ岩場の登りとなってきた。
梯子、鎖場、岩場、子供にとっては中々危険な思いの連続であり、一番怖かったと言っていたのが、足場の悪い、横渡りに行かなければいかない岩場だった。
息子にとっての「神々のトラバース」とでも言おうか。
常に息子の下側で足元を確保し、受け止めれる態勢を作りながら、手元と足元の場所を教えつつ、必死な顔つきでついにお地蔵様の座る稜線にでた。

晴れ渡っていた。
お地蔵さんの横に座る息子、この瞬間はとカメラを構えたが、待てオレと。
かつて東寺の住職に叱られた事を思い出した。
「仏さまにはまず手を合わせよと。」
手を合わせ、さてと撮るぞとこの瞬間息子もお地蔵様に手を合わせていた。
この瞬間こそとファインダーを覗いた時には息子は空を仰いでいた。
これもまた良しとシャッターを切る。

晴れ渡る青空、薄く伸びる雲。

岩の壁を乗り越え、見えたのはどこまでも広がる緑と青い空でした。
「きれいやなー」と息子が言う
「すごーい」と私の後ろから声が聞こえ、振り返ると若く綺麗な山ガール。
私と目を合わせ笑顔をくれた。
微笑みを返し、ぐっと次の言葉はこらえて美しい景色と山ガールの笑顔を胸に刻んだ。

休憩後歩き始めてすぐに富士山が見えた。
中腹にスジのように伸びた雲が印象的で、一層美しく見えた。

赤岳頂上は見えているもののまだ遠い。
稜線沿いの山小屋で昼食を取り、いよいよ頂上に向けて最後の登り。
ここも岩場である。
向こうから同じ歳くらいの子供もいる、お父さんと話してみると、子供は同じ歳で、泣きながら登ったという。
息子は泣いてはいないが必死に怖さをこらえていた。
その頃から視界はどんどんガスに包まれ美しい景色は消えてしまった。

休業中の山頂小屋を過ぎ、遂に赤岳2899mの三角点に一緒にタッチ。
岩場の陰で風を凌ぎ、持ってきた瓶コーラを出し二人で飲んだ。
昨年奥穂高登山の時、頂上下の山荘で若者たちが「やっぱ瓶うめ―!キンキンに冷えてやがる!」と歓喜を上げて飲んでいたのがおいしそうで、今回重いのは承知で担いできた。
しかしながらこの瓶コーラはその時の温度と大きく異なり、若干ぬるく微妙ではあったが疲れた体に沁み込んできた。

すると二人組の今度はスタイルの良い美人山ガールがやって来た。
カメムシがいる―」と私を見てにこやかにはしゃいでいる。
違うでしょうと思いつつ微笑みを返し、その後の言葉はぐっとこらえて、笑顔とコーラを脳裏と胃に沁み込ませた。

すると息子が「父さん頭が痛い」と言う、高山病だろうか。
待てよと、ヘルメットを少し緩めてやると痛いのは収まったらしい。

頂上付近は上着を着ていても肌寒く早々に下山を開始。
来た道は怖くて戻りたくないと言う息子。
急ではあるが来た道とは別の道に変えた。
計画では来た道を下山としていたが、岩の大きさからも足場は大きく降りやすいと見て、私が先に下り足場を確保しながら息子にまた、教えながらゆっくり一歩一歩の下山。
途中涙目の息子に「怖いか」と聞いたところ、遂に気持ちが折れたのか、おっぷ、おっぷぷといった感じで涙を流し始めた。
来た道よりはずっと足元が安定しているから心配するなと声をかけ、岩場を過ぎた頃、15時を回っており、計画より2時間オーバー。
息子の疲労も大きく、明日に計画していた阿弥陀岳は止めようと思い、その事を息子に伝えた所、みるみる内に元気を取り戻してきやがった。

岩場を過ぎての階段、下り坂もなかなか長かったが息子は元気に歩いていた。
16時を過ぎた頃ようやくテント場のテントが木々の隙間から見えた時息子と一緒に歓声を上げた。
ロッキーが勝った瞬間に流れる曲が頭に流れる。
今回はこの曲が流れたかと思い、行者小屋へ。

「山なめんなよ」「山なめてました」「赤岳はどこですか」「大好きです」
吹き出し看板で記念撮影をすべく、息子は「山なめんなよ」私は「山なめてました」を選択。

まあ、無理をせずようやく小屋まで来れたなと。
あとはご飯を食べて朝まで眠ることとし、
夕飯も半分で息子は眠いと言いだし、トイレと寒くなったら必ず言うようにと伝え息子は眠った。

片づけをしながら急激に冷えてきた。
私も寝袋に入り18時くらいだったか眠った。
すると一時間も寝た頃か、息子が「父さん、トイレ」という
よしよしと山小屋のトイレに行き、また眠り始めた途端「父さん寒い」といった。
よしよしと持ってきたヒートテックと私のダウンを着せ、靴下を変え寝させた。
私も着替えを終え再度寝ようと思った時には鼻水がダーダーに出てきた。
ティッシュを両鼻に詰め、寝返りを打った息子と目が合い、この顔に引いたような表情を見せ言った。
「父さん、明日父さんが風邪ひいたらオレどうしたらいいの」
「死んでも歩くから心配するな」
「ヘリ呼ばんの」
「へリはタクシーじゃないぞ、毎回の鼻水だから心配するな」と言い朝まで眠った。
体調は二人とも崩れることなく、疲れも引き元気だった。

尾西の白米にレトルトカレートマトスープ、コーヒーとゆっくり朝ごはんを食べ、テントを仕舞い、赤岳を何度も二人で見て、行者小屋を後にした。


下山中の樹林帯に朝日が差込み、行きとも違う幻想的な景色を見ながら、
息子は自分が先に歩くと言いい、帰れる喜びで上機嫌に昆虫の話をいっぱいしてくれた。
アブラゼミの鳴き声は油を揚げている音に似ているからその名前が付いたとか、
ツクツクボウシはその様に聞こえるからだとか、虻の羽ばたき回数は世界一だとか、蟻は体の七倍の物を運べて、これは人間に例えると太い木を一本運ぶことと同じであるとか。
実に楽しい下山であった。

約3時間をかけ、登山口を出た時、向かいの山荘の水槽に入れられた飲み物、ビール、サイダー、コーラ。水に手を入れてみると見事な冷たさだった。
飲まずにはいられない、サイダーとコーラを買いベンチに腰を下ろす。
煉瓦で作られた大きな焚火台にこれも大きく割られた薪が燃えていた。
キンキンに冷えたコーラと暖かい焚火。
汗ばんで冷えつつある体と日焼けした肌に沁み込む焚火の熱、例えようの無いほど気持ちが良かった。
こんな形で今回の登山を締めくくれるとは思っていなかった。

無事に下山。

今回の登山を振り返り、自身としてはやはり「山なめてました」
この一言に尽きるなと。
息子の体力、気力、体調までをも計算できず、行程は半分で終了であった。
半分で良かったのである。
欲を出し過ぎ、後から思えば一人でもようやくの計画をしてしまっていた。
息子にまた行きたいかとは聞けず、もし行けるのであれば、無理をせず、
楽しめる登山を計画しよう。
そんな想いはあるものの、危険な山ではあったが一生の記憶に残るであろう今回の山行となりました。

 

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北アルプス笠ヶ岳の山行後記

今回の北アルプス笠ヶ岳を目標にした武者修行
オレリンピック、もとい普通の登山。
新穂高温泉から小池新道を通り、双六小屋一泊、翌日稜線より、笠ヶ岳で一泊、翌日笠新道より下山の予定にて21日20時に家を出た。
0時に新穂高温泉到着。

仮眠後早朝4時半より歩き始め、とても良く晴れた朝で、気持ちが良かった。
10時半ごろには鏡平山荘に着き、ここでお昼ご飯としてラーメンを注文。
インスタントとコンビーフの入ったラーメン1000円。
山とはこれが当たり前の価格で、この時点で5時間歩き、消耗している体にはとてもおいしく感じられるわけである。

地図上では残り2時間で双六小屋、自分のペースだと13時くらいにはなるだろうとまたゆっくり歩き始めた。
ようやく稜線の分岐になり、左は笠ヶ岳方面、右は双六岳方面。
笠ヶ岳はここから4時間半かかることとなるが、この時点で、笠ヶ岳に行くのは危険。天候悪化、落雷、体力の消耗、水場の無い事等。


右の双六小屋方面に向かい、上り下りを繰り返しようやく山小屋が見えてきた、開けた場所に池があり、その向こうに赤い屋根の小屋が。
13:00ようやく到着。

8時間以上歩き、疲れ果てているが、早くテントを張って、できれば双六岳にも上り、ビールが飲みたいと。
小屋の中に入ると、お姉さんが声をかけてくれた、テント泊ならこの用紙に。
「予約はされていますか」
予約?
「していません」
「予約無しではお断りしているんですよ」
「すみません、何とかならないですか」
ちょっとお待ちください。
お姉さんは、小屋の男性に聞きに行き、戻ってきた。
「あのーやっぱり予約の無い方はお断りしますので」

は?である。
確かに情報不足で知らなかった私が悪いのは明確だ。
しかしここは8時間以上歩いてやっとたどり着いた山小屋だ。
車で来て断られるなら仕方ないが、じゃあどうすれというのか。
人が人なら生き死に関わる事だ。
叱っていただき、今回限り、次は必ず予約入れてくださいねなら
わかる話が、門前払い。
コロナの関係だろうか、しかしあり得ない対応だ。

まあこれがここのルールと決めたならもういい。
これ以上お願いする気もない。
今夜は来た道を戻りビバークするか。
「わかりました」

とは言ったものの心がポッキリ折れかかった。
さすがに疲れ果てている。
また来た道を戻るのか。
ビールを買い、ザックに入れ、少し休み、来た道を戻る。
登り、下り。
敗走兵のような惨めさだ。
40分ほど戻っただろうか、ベンチが2つあり、わりとひらけている場所でここにするかと腰を下ろした。
まだ2時過ぎ、登山者もまだ来るので、15時くらいまで座って過した。
15時も回り人も来なくなり、さてとテントを張りだした。
張っている途中に10名くらいの団体さんがガイド付きでやって来た。
隅の方でせっせとテントを張っていると70歳くらいの男性のおっさんがやってきた。
「ここでテントを張っては行けませんが知っていますか」
「いや知りませんが」
「国立公園では指定された場所以外でテントは張れません、これは法律違反です、私はあなたの写真を撮り、報告し、あなたは罰せられます。あなたを見過ごせば、誰もが同じことをするでしょう。
スピード違反と同じです、それにトイレの問題もある」
「確かにそうですね」
おっさんはテキパキと写真を取り出した。

とりあえず状況を説明し、何も好きでここにテントを張っているわけじゃなく、止むに止まれない事を伝えた。
「今どこもテント泊でも予約はいりますよ、申し遅れました、私はこうゆう者です」
身分証を見せてきた。
安曇野市だか環境省だか、その管轄のガイドらしい。
「でも予約が無いからと断るのはおかしいですね、テント場も全然空きはあるはずだよ、それくらいの融通は利かせてあげて、当然ですよ、場所空いてましたよね?」
「ガラガラでしたね」
「わかりました、この時間ここを去りなさいとも言えないし、立場上見過ごして泊まらせる分けにもいかない、私が小屋に話を付けて、あなたを泊まれるようにしますから、テントをたたんだら小屋に来てください、私はそこで待っていますから、あしたはどこに行きますか?」
笠ヶ岳です」
「あそこも確か予約がいりますよ、うまくやりなさいね」
その後お互い名前を確認し合い、客を引き連れおっさんと一団は去った。

テントをたたみ歩き出してすぐ雨が降り出した。
上下レインウェア着てザックカバーを掛け、
もう踏んだり蹴ったりかと、疲労に加え雨はまた萎える。
雨は土砂降りに変わった、見える小屋はまだ小さい。

ようやくたどり着いたころには心底疲れ、テント場のテントを数えてみた所、60張。
さっきは4張くらいだったが、60にしても場所はガラガラだ。
小屋の中は買い物に来たテント客の雨宿りでいっぱいだった。
荷物を下ろすことも出来ず、先ほどのおっさんはいない。
客を部屋に連れて行ったのか、待つしかない。
その時だった。
小屋の男性スタッフが雨宿りのテント泊者に言い放った。
「宿泊される方の迷惑になるので、テント泊の方、雨宿りは止めてください、外に出てください」
外は土砂降りの雨。

コイツ一体何なんだと。
怒りしか無かった。
女性スタッフはすごく感じが良いのに、あの男は何なんだ。
歳は30代後半くらいか。

外に出るつもりもなく、おっさんを待った。
荷物がとにかく重い。
待つ内に雨も小降りとなり、一人また一人とテント客は出て行った。
中にはサンダル履きの人もいた。

ようやくおっさんが来てスタッフと仲良く話していた。
歳も歳だしずっと長く利用しているんだろう。
話を付けるに時間はかからなかった。

用紙に記入し代金を払い女性スタッフは申し訳なさそうな顔をしていた。
男性スタッフが「次からは予約入れてくださいね」と後ろから言ってきた。
コイツは無視しておっさんに感謝を伝えた。
「これでゆっくり休めますね、明日もきをつけて」
「ありがとうございました」

小降りの雨の中テントを張り、中に入ったがどれも水を含み体は寒く、とにかく疲労が溜まって心はポッキリ折れていた。
まず食おう。
一日目の夕食は味噌鍋にしていた、鶏肉、豚肉、ネギ、しめじ、もやし。
もやしは水分が全て抜けており、紐のようになっていた。
ビール1缶で疲れが一気に噴き出し横になった。
寝袋まで濡れている、中まで濡れてはいなかったのが良かった。
明日帰ろう。
この疲れと明日テントが張れなかった場合を考えると危険極まりなく、来た道を戻ろう、何もできなかった、これは負けだ。
18時くらいだっただろうか、そう決め寝た。

目が開いて時計を見る0時を回っていた、寝袋の表面は乾き、中は暖かく疲れが引いていた。
目を閉じてまた眠り、目が開いて時計を見ると2時。
外に出てみると月がきれいに出ていた、星も見える。
荷物を一から整理したら、笠ヶ岳へ行きたい気持ちが沸々と湧いてきた。
空腹が満たされ、体力も回復し、気持ちと勇気の湧き上がる瞬間なんだなと。
山荘に無理と言われたら一芝居打って拝み倒すか。
行きたいその気持ちが勝った。

また眠り、3時に行動を開始、尾西の白米にレトルトカレーを入れての朝ごはん。
水を補給し、歯を磨いて、準備運動。
テントの水分は中も外もタオルで拭き取り
絞っての繰り返しで最大限軽くしまた歩き出した。
ここから笠ヶ岳まで6時間半、地図から高低差はあるものの、緩やかな登りと気持ちの良い稜線だけと思っていたが、これは大きな間違いだった。


昨日の分岐を笠ヶ岳方面に行き、歩いてすぐに大きな下り、目に見える急で長い登り。
ゆっくり登り、ようやく稜線に出た。
長く湾曲した稜線の向こうに頂上が見える。
あと少しだ。
と思ったものの、ここから更に3時間何度も下り、登りの繰り返し、見えてはいるのに一向に近くならない頂上。
泣きたくなるような厳しさだ。
山荘にテント泊を何とでも了承をもらうため、あれこれ考えながら歩く。

途中抜戸岳の頂上付近で休憩中、山裾から救助ヘリが現れ旋回し、抜戸岳頂上で救急搬送をしていた。
すれ違う登山者に聞いたところ、熱中症で搬送との事だ。
ここは丁度笠新道の分岐点、直線距離は短いものの6時間を要する水場無しの登山道だ、おそらくその関係で体調を崩したか。
とにかく安全にだ。
ここらあたりから遂に山荘が見えてきた、あと1時間と少し。
最終の登りが見てわかる。
休み休み行こう。

またしても下り登りと中々近づかない山荘、テントがその下に見えてきた。
距離があるだけに、ビバークでもするのだろうかと、最悪近くに張るかと思いようやく見えたテントまで来たが、どうもここが山荘のテント場なのか、登ってる間に10張くらいまで増えている、後100mくらいか、残雪もある。
もう少し登りは続き、ようやく笠ヶ岳山荘に到着。

やることは一つテント場の確保だ、本当なら着いた着いたとテントを張ってご飯を食べ、頂上に向かう所が、こんなところにまでコロナウイルスは影響を及ぼしている。
さてと、女性スタッフに真っ先に聞いてみた。
「テント泊に予約は必要ですか」
「いりませんよ」
「良かった~」
膝カックンを食らって腰が抜けるような感覚だった。
手続きを済ませ、同時になっちゃんを購入。
甘いものがとにかく飲みたかった。
「外に荷物置かせてもらってよいですか」
「頂上ですね、置いて行ってください」
テラスのベンチに腰を下ろしなっちゃんを飲んだ。
キンキンに冷えてやがる、ありがてー!
藤原竜也カイジがのりうつる瞬間だった。

歩いて汗をかき、食べながら、舐めながら水を飲みながら来たものの長時間歩いた体はとにかく消耗しきっている、なっちゃんがビリビリと音を立てるように体に染み渡る。美味い。そして助かった。
ありがとう笠ヶ岳山荘。

ザックを下ろし頂上へ。
神社にお参りをし三角点へ。
眼前に奥穂高、西穂穂高
昨年奥穂高の頂上から見た裏手にそびえるとにかくデカく長く、広く美しい山。笠ヶ岳でした。

なぜここに登りたかったのか。
単純だった、SNSだか山サイトの写真だか美しいと感じたから。
登る途中あの山かとわかった時、頂上に立ち奥穂高を見た時。
あの美しく大きな山にやって来た感動に包まれた。
しかしきつかった。もう二度と来ることは無いかもしれない。

ありがとう。

そう残し頂上を後にした。

何度も振り返りながら。

 

山荘に戻りビールとカップヌードルを注文、おじさんスタッフが越冬ビールなら半額ですよって、去年売れ残って冬を越してしまったビールだ賞味期限が迫っているのだろう。
味は同じですからって。
だったら同じ普段の価格で売ってくれていいのに。
みんな普通に買うのに、半額で提供して頂いた。
テラスに出てたばこを吸っていた時、
年寄りのお爺さんが山荘の男性スタッフに聞いていた。
「やっとの思いで辿り着きましたが、もう戻る力がありません、予約無しですが2人一晩泊めてもらえませんか」
男性スタッフは帳面を見て即答だった。
「大丈夫ですよ、どうぞ」
と返した。
この険しい道を上ってきた登山者を山荘の男性スタッフは当たり前のように迎え入れた。
これはダンディズムというよりこの山荘のヒューマニズム、いや、当然の事と登山者に対する接客だった。

ビールを雪で冷やし、テントを張り、休んでいると雨が降ってきた。
しばらく眠り、小雨を狙ってビールを取りに行き晩御飯。
ビールはやはりキンキンに冷えてやがった。
雪解けの岩場を潜った水場で汲んだ水で作ったカップヌードルが例えようの無いほど美味かった事。
ハウンドドッグのフォルテシモが何故か頭の中で流れ出す。

雨は土砂振りに変わり、雨音に任せて眠った。
やがて雨も上がり、テントの外に出てみた。
すると晴れ渡った空、目の前の槍ヶ岳穂高連峰に虹が掛かっていた。
テント場のみんな、同じ景色を見ていた。
隣のテントのカップルの彼女が言っていた。
「諦めずに登って良かった」って。
全くその通りだよ、ホント険しかったな。
前日からの想いが色々と駆け巡り涙が出てきた。

ひたすら朝まで眠った。
予定していた食料を食べ、残りの非常食とガスの残量を確認し下山の準備をして、テントの水を拭きとり笠新道へ。
急勾配の道をゆっくり、追い越されながら下った。
林道の水場が見えた時、ヤッター!と声を上げた。
水場で顔と頭を洗いその冷たさの気持ち良い事。
帰れるんだ。
これで只の男に。と何故かアリスのチャンピオンが頭に流れ出す。

平湯温泉の露天風呂で疲れと脚の痛みを癒し、瓶コーラの美味さに
また心打たれて無事帰宅。

色々あった。
厳しかった。
やり遂げた。
無観客、無酸素のオレリンピック。
もとい今回の笠ヶ岳登山無事終了となりました。

 

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キャンサー

癌細胞を見た。

大腸に出来た癌。

黒い色をしたイメージだった。

切り取られた大腸はピンク色、桜の花びらのような淡い色だった。

美しいとさえ思えた。

そこにできた指の先端くらいの形したシコリのような、さらに淡い桜色に白い脂肪のような物。

これが人間を死に至らしめるとは思えないような物。

なんなんだろう。